子供を「躾ける」ということは、価値や文化を教え、伝えることでもあります。保護者の皆さんは、やがて我が子が、その教えや伝えられたことを、自ら進んで意欲的に表現して、実行できるようにしてあげなければなりません。
さらに、子供は「躾」を通して、自分の感情や衝動を『律する力』を育てます。「何をしなければならないか!」「何をしてはいけないか!」 その判断が自らできるような『自律』を教えてあげることが「躾」です。
躾の下手な人の共通点は、待つことができないこと、性急過ぎること、そして、感情的(怒り)になることです。
できるようになるまで待てない、理解するまで待てないので、すぐにイライラして「早く!」」とか「何度言えばわかるの!」とか「いつまで経ってもできるようにならないわね!」というような言葉が感情のまま威圧的に出てきます。
非行や暴力、引き籠りなのど問題を抱えている少年少女の多くは、小学校時代までは、勉強や習い事では、優秀だった子が多いそうです。そして、この子達に共通しているのが「親が勉強や習い事に非常に口うるさかった」ということだそうです。
「我が子のため…」と言いながら、実は、親自身のプライドや世間体、見栄を優先するあまり、我が子の〝自尊心〟を傷つけてきた結果です。
親が焦ると、子供はもっと焦ります。何をやっても自信が持てません。「僕は… 私は、ダメな子なんだ!」「誰からも認めてもらえないんだ!」「どうせ失敗するからやめておこう!」というように、自己否定感や自己嫌悪が強くなってしまいます。そして、周囲への嫉妬心が強くなり、自分自身が嫌になり、やがて『無気力』な人間になってしまいます(涙)
園長も二人の子を持つ父親です。すでに二人とも成人して、社会でそれぞれの生活を送っていますが、やっぱり我が子が幼い頃は、「我が子のため…」と、ついつい感情的になり、厳しく叱った経験が何度もあります。園長自身も父親(理事長)からめちゃくちゃ厳しく叱られた経験が何度もあります(笑)
我が子の自尊心を考えながら常に冷静に叱るなんてことは、世の中のほとんど親にとって困難なことですね…(笑) どうしても感情的になってしまいますよね。
でも、子育てで大切にしなければならないのは、我が子の『将来』です。 自分の気持ちをコントロールする… すなわち、『自律』の力を育てることです。
感情的な叱り過ぎ、言い過ぎには、必ず〝副作用〟があります(>_<) それが、非行や暴力、引き籠り、そして「無気力」などです。
何事においても「○○過ぎ!」には良いことはありませんね。 食べ過ぎ、飲み過ぎ、我慢し過ぎ、etc
私達の日常の生活の中でも「○○過ぎ!」の後には、必ずしっぺ返しが待っています。 子育てや教育も同じです。 厳し過ぎや言い過ぎの後には、必ず〝副作用〟が生じてしまいます。それが〝心の障害〟になってしまっては一大事ですよ(>_<)
子育てには「忍耐」が必要です。待つことで『自律』が育ちます。
「言い聞かせて… 待って…」また「言い聞かせて… 待って…」
その時々で、必要に応じて必要なだけ言い聞かせ、伝え、教え、子供が自ら進んでそれを実行するまで〝待つ〟のです。 その繰り返しが子育てであり、教育なのです。 そして、子供が自ら進んで実行できるようになるまで〝手を貸してあげる〟のが親の役目であり、教師・保育者の役目なのです。
自律や自主性、主体性は、誰かに指図されたからやるのではなく、自らの意思で実行する経験の中で育つのです。
子供の自主性、主体性を育てるために「子供のやりたいことをやりたい放題させる」という話を聞きますが、これにも大きな落とし穴がありますよ。 これは単なる「無責任な放任」です。「無責任な放任」からは自律や自主性、主体性は絶対に育ちません。
「言い聞かせ、伝え、教え、待つ…!!」 その繰り返しから「信頼」が生まれます。 親子であれば「愛情」であり「絆」ですね(*^^)v
子供は「信頼」「愛情」「絆」で繋がっている人から〝生きていくための力〟を学び、自らの手でその力を育てていくのです(^_-)-☆
「無責任な放任」には「必要な学び」は何一つありませんよ(涙)
子育てや教育の中で、子供を叱る必要がある場面も、厳しくする場面も無数にあります。叱ることも厳しくすることも決して悪いことではありません。 「し過ぎること!」に問題があるのです。
「信頼」「愛情」「絆」の名のもとに「○○過ぎる!」ことがないように… 子育てには「忍耐」が必要です。 それを忘れなければ、どうしても叱らなければならない時に、必要な手加減や配慮ができますよね(*^^*)